ぽっぷ
ピグミー族とは、人類学上特に身長の低い(平均1.5メートル未満)特徴を持つ、赤道付近の熱帯雨林に住む狩猟採集民族のことです。中央アフリカ全体、また少数ですが東南アジアにも存在するといわれており、彼らは合唱やアンサンブルの天才ぞろい! 楽器は主にリケンベと呼ばれる親指ピアノを使用しますが、ピグミー音楽に用いられるほとんどの楽器が単純かつ実用的なもので、そのセンスの良さはバツグン。16ビートのリズムにのせて、2拍子と3拍子のポリリズムを演奏するといった具合で、伝統的なノマディック(放浪的)ライフスタイルに似つかわしいともいえます。ボーカルも実に絶妙。その歌詞は日本人にはユニークに聴こえ、思わず一緒に口ずさんでしまうほど愛らしいサウンドです。違うメロディーが7つも8つも同時に鳴り、その全体の響きが言葉では表せないくらいにすばらしいです! 慌ただしい毎日に疲れたあなた、ピグミー音楽で自然を感じてみませんか?
バカ上司へのレポート
・ピグミー族は合唱やアンサンブルの天才ぞろい。楽器は主に、リケンベ(親指ピアノ)を使用しますが、そのセンスの良さはバツグン。16ビートのリズムにのせて、2拍子と3拍子のポリリズムを演奏するといった具合。ボーカルも実に絶妙。その歌詞は日本人にはユニークに聞こえる。思わずいっしょに口ずさんでしまうほど愛らしいサウンド。
・ 違うメロディーが7つも8つも同時に鳴る。 その全体のひびきがそれはもう言葉でいいつくせないくらいにすばらしい。
・アフリカのピグミーは集団、即興による複雑なポリフォニーが特徴的な声楽によってよく知られている。Simha Aromはピグミー音楽の多音の複雑さは、中世ヨーロッパのアルス・ノヴァのポリフォニーとよく似ていると指摘している。ピグミー音楽に用いられるほとんどの楽器は単純かつ実用的なもので伝統的なノマディック(放浪的)ライフスタイルに似つかわしい。
・音楽の構造は、それを支える社会構造に大きく影響を受ける。例えば通常の音楽では、オーケストラにおける指揮者やロックバンドのボーカルのようなリーダーとなる中心的存在がいて、それを他の演奏者が支える。しかしピグミー族の音楽では、リーダーのような中心的存在が無く、各自の相互作用によって音楽が作られていく。あるピグミー族の少年が、別の少年に音のフレーズを教える。そこにまた別の少年が加わり、また一人加わり、徐々に音の輪が広がっていき、複雑なリズムを持った合唱が生まれていく。(http://ja.wikipedia.org/wiki/ピグミーなど参照)
「言葉が行き来することによって、人が人に触りもしないのに、人が動く」。この一文を読んだ時、ハッとした。普段、意識することはない。まるで空気のように当たり前にある声の存在。それって実は、ものすごく神秘的なものだったんだと気づかされたような気がした。生まれてしばらくは泣くことしかできない人間という生き物。赤ちゃんにとって大人が発している言葉というものは大変不思議なものだろう。私は、どのようにそれを見ていたのだろう。その答えは、この文章と自分の見てきた夢を照らし合わせることで、非常にもどかしい思いをしていたのかなと推測される。
例えば、ブログにもアップした「最近見た夢」では、激しい風音と雨音でうまく会話が出来ていないし、「印象的な夢」でも自分のお葬式の場面で「私はここにいる」と叫んでも誰も気づいてくれない。それは欲求があるのに、話したいのに話せないというもどかしい気持ちを持っていたからなのかなと思う。そう言われてみれば、幸せに満ち足りた夢を見たことは少ないかもしれない。好きな芸能人に会っていたり、誰かと恋に落ちたりと、いい夢だったなと思えるものはいくつもあるが、いつもどこか何かが足りない気がする。「本当はこうしたいのに」と思っていたり、手を伸ばしてみても目標物に届かなかったり、結局どこか幸せになりきれない夢の中の自分がいる。それは言葉の力が足りない気がする。
そもそも、私の夢に声が出てくること自体が少ない。たいてい心の中で思ってることだったり、映像だけだったり、そういう夢が多い気がする。このプリントによると、「言葉を話すようになった瞬間が人間として自己を自覚する」、「それは空を飛ぶという運動感覚の中で結びついてる」とあるが、私は空を飛ぶ夢を見たことはないし(忘れているだけかもしれないが)、結局自分の思いが伝わらなかったり、欲求を満たせないまま夢から覚めてしまうことが多いので、未だに自己を自覚出来てないのかもしれない。どこか自分に自信が持てないし、自分の本性が自分でも見えないし、そういった不安が夢になって現れるのかなと思った。とりあえず人間として言葉を話せるようにはなっても、他の人が当たり前に見つけてきたものを、私はまだ見つけられていない気がする。







例えば、ブログにもアップした「最近見た夢」では、激しい風音と雨音でうまく会話が出来ていないし、「印象的な夢」でも自分のお葬式の場面で「私はここにいる」と叫んでも誰も気づいてくれない。それは欲求があるのに、話したいのに話せないというもどかしい気持ちを持っていたからなのかなと思う。そう言われてみれば、幸せに満ち足りた夢を見たことは少ないかもしれない。好きな芸能人に会っていたり、誰かと恋に落ちたりと、いい夢だったなと思えるものはいくつもあるが、いつもどこか何かが足りない気がする。「本当はこうしたいのに」と思っていたり、手を伸ばしてみても目標物に届かなかったり、結局どこか幸せになりきれない夢の中の自分がいる。それは言葉の力が足りない気がする。
そもそも、私の夢に声が出てくること自体が少ない。たいてい心の中で思ってることだったり、映像だけだったり、そういう夢が多い気がする。このプリントによると、「言葉を話すようになった瞬間が人間として自己を自覚する」、「それは空を飛ぶという運動感覚の中で結びついてる」とあるが、私は空を飛ぶ夢を見たことはないし(忘れているだけかもしれないが)、結局自分の思いが伝わらなかったり、欲求を満たせないまま夢から覚めてしまうことが多いので、未だに自己を自覚出来てないのかもしれない。どこか自分に自信が持てないし、自分の本性が自分でも見えないし、そういった不安が夢になって現れるのかなと思った。とりあえず人間として言葉を話せるようにはなっても、他の人が当たり前に見つけてきたものを、私はまだ見つけられていない気がする。







○最近見た夢○
行ったこともない遊園地にいた。観覧車があるのだが、ものすごい台風がやってきて、強い風と雨で故障する。私はそれに乗っていなく、下で見ていたのだが、誰か知り合いが乗っていて、どうにか助けようと必死になっていた。とりあえず、配電盤のあるところまで行くと、業者らしいおじさんが何人か集まって、しゃがんで修理していた。おじさんはレインコートを着ていてもびしょ濡れ。何も着ていない私は、髪の毛から水が滴り落ちるほどぐっしょり濡れていた。強い風音と雨音で、大声で話さなければ会話ができない。だから、叫ぶようにして、私はおじさんに必死で何かを聞いていた。そして、協力して修理を手伝っていた。夢はそこで終わった。観覧車は再び動いたのだろうか。
○印象的な夢○
私は「死」に関わる夢を何度か見た。どれも短い夢なのだが、強烈な印象を残したので、一番は決められない。
まずは、見知らぬおじいさんを殺した夢。階段から突き落とした。理由はわからない。グループでの犯行だった。その中に、一人も知っている人はいなかった。ひたすら怖かった。人生が終わったと感じた。自首しようと思ったが、できなかった。だから逃げた。その逃げている最中の怖いことと言ったらない。逃げてもいつか必ず絶対に捕まる。そうわかっていても、何故か警察に足が向かない。パニック状態に陥っていた。本当の犯罪者もこんな気持ちになるのだろうか。恐怖のあまり、人を殺すことは自分を殺すことなのだなと改めて悟ってしまった。
次は、震災が起きて死んだ夢。ガレキの下敷きになって母親と死んでいた。ものすごい出血量で、それを母と俯瞰している。「すごい血だね」「痛そうだね」などと話していた。死んだ私たちはどこも痛くなかった。
そして、自分のお葬式の夢。何故か祖父の家で行われていた。喪服を着た人がたくさん集まっているのを、私は天井の隅から見ている。私の写真の前で、両親が泣いている。何で泣いているのか、私は理解できない。「私はここにいるのに」と、ただひたすら思っていた。ものすごく悲しい気持ちになった。
こういった強い印象の夢は、起きた時ものすごく疲れてしまうのだが、また見たいと思う。何か不思議な力を感じる。
行ったこともない遊園地にいた。観覧車があるのだが、ものすごい台風がやってきて、強い風と雨で故障する。私はそれに乗っていなく、下で見ていたのだが、誰か知り合いが乗っていて、どうにか助けようと必死になっていた。とりあえず、配電盤のあるところまで行くと、業者らしいおじさんが何人か集まって、しゃがんで修理していた。おじさんはレインコートを着ていてもびしょ濡れ。何も着ていない私は、髪の毛から水が滴り落ちるほどぐっしょり濡れていた。強い風音と雨音で、大声で話さなければ会話ができない。だから、叫ぶようにして、私はおじさんに必死で何かを聞いていた。そして、協力して修理を手伝っていた。夢はそこで終わった。観覧車は再び動いたのだろうか。
○印象的な夢○
私は「死」に関わる夢を何度か見た。どれも短い夢なのだが、強烈な印象を残したので、一番は決められない。
まずは、見知らぬおじいさんを殺した夢。階段から突き落とした。理由はわからない。グループでの犯行だった。その中に、一人も知っている人はいなかった。ひたすら怖かった。人生が終わったと感じた。自首しようと思ったが、できなかった。だから逃げた。その逃げている最中の怖いことと言ったらない。逃げてもいつか必ず絶対に捕まる。そうわかっていても、何故か警察に足が向かない。パニック状態に陥っていた。本当の犯罪者もこんな気持ちになるのだろうか。恐怖のあまり、人を殺すことは自分を殺すことなのだなと改めて悟ってしまった。
次は、震災が起きて死んだ夢。ガレキの下敷きになって母親と死んでいた。ものすごい出血量で、それを母と俯瞰している。「すごい血だね」「痛そうだね」などと話していた。死んだ私たちはどこも痛くなかった。
そして、自分のお葬式の夢。何故か祖父の家で行われていた。喪服を着た人がたくさん集まっているのを、私は天井の隅から見ている。私の写真の前で、両親が泣いている。何で泣いているのか、私は理解できない。「私はここにいるのに」と、ただひたすら思っていた。ものすごく悲しい気持ちになった。
こういった強い印象の夢は、起きた時ものすごく疲れてしまうのだが、また見たいと思う。何か不思議な力を感じる。
パソコンは使えないと困るが、その能力を駆使するにはかなりの時間がかかりそうだと思うのは、私がパソコン音痴だからなのだが、この授業で初めてちゃんとしたブログを作ることになって、ブログを1つ作るのにも、こんなに労力がいるのかと、改めて自分のパソコン音痴さを痛感していて、改造して本当に自分好みのブログにするにはまだまだ時間がかかりそうだと感じているのだが、とりあえず今日は授業で初めて聞いた「トラックバック」の言葉の意味や、リンクの貼り方、文字サイズの変え方と携帯電話の絵文字も入力できることがわかったので、今日のところはそれでよしとしようと思っている私の耳には今、MixmasterMorrisのmixが流れているのだが、この音楽は初めて耳にするもので、まず初めに受け取った印象は何だか宇宙みたいな異次元の空間の音といった感じで、環境音楽というだけあって、自然に体に入ってくるのか、癒される波=眠くなる波が出てると感じられ、不眠症がちの私は夜に聴くのにいい音楽だなと思った。(418W)


