breath of air
〜 そ よ 風 の よ う に 微 弱 な 日 記 〜
 私たちの生活に存在しているメディアは、まるで空気のような存在だと思う。人並みの生活をしていれば、どうしたってメディアは側に在り、切っても切れぬ縁で繋がっている。そして、人々はそれをただ鵜呑みにするのではなく、無意識の内に「本当なのか?」と疑っているはずだ。それにも関わらず、内田樹さんの文章にもあるように、メディアによって流された情報が嘘であれば人々はここぞとばかりに騒ぎ出す。最近1番大きな話題になったのは、関西テレビの「あるある大事典」。納豆ダイエットに関する情報が全て嘘だった。私は、この番組をあまり見ていないし、納豆ダイエットの存在も知らなかった。しかし、もし納豆ダイエットをやっていたら友達にでもネタとして話せば盛り上がりそうだし、やっぱり騒ぐんだろうなと自分でも思う。実際、通販で買ったもので失敗したことが何度もある。ダイエット器具だとか化粧品だとか効かなかった時はやっぱり誰かにネタとして提供してしまう。とりあえずその場は盛り上がるからだ。メディアが大げさに騒ぎ立てるのも、面白がるとか茶化すとか、そういう子供じみた些細な理由なんだと思う。
 “「驚いたふり」は、要するに「私はこの不祥事にぜんぜんコミットしていませんからね。だって、何も知らなかったんだから」という言い訳のために戦略的に採用されているのである”という内田さんの文章は非常に的を射ているなと思った。読んだ瞬間、何か心がスッとした気がした。こういった不祥事関係のニュースは見ていて嫌な気持ちになる。しらじらしい言葉を大人たちが並べて、不自然そのものだ。その不自然さの元である「驚いたふり」が言い訳のための伏線であるなんて全くその通りだなと思った。
 しかし、内田さんも言うようにメディアの90%はジャンクで仕方ないと思う。もちろん感動的なノンフィクションも必要だろうが、そればかりではメディアは発展しない。いつの時代も人間という生き物は楽しいことが好きだ。私も、今までジャンクな番組を見て育ってきたし、例えそれが嘘でも本当でもその瞬間の楽しさが得られれば十分だと思う。先ほどメディアは生活の中に存在していると言ったが、生活の中に存在していながら実は非日常の世界に私たちを連れて行ってくれるのではないか。代表的なメディアの1つであるテレビは見ていると気分転換にもなるし、ストレス解消になる時もある。いちいちそれが本当か嘘かなどと考えていたらきりがない。疲れるだけだ。後は全てをそのまま信じきらず、自分で嘘かどうか見極める心を持つこと。それでもやはりメディアで偽の情報が発覚すれば「裏切られた」と被害者ぶる人が多いだろう。だが、それは人間の性ではないだろうか。そのため、内田さんはよくこんなにもメディアに対して怒れるなと思った。私が物事を深く考えられない頭だからかもしれないが、やはり人々が偽造に腹を立て、被害者だと主張するのは普通のことだと思う。それは世の常で、これに関してもいちいち腹を立てていたらきりがない気がする。何事もほどほどに付き合って、ほどほどに忘れていく。それが無難に楽しく生きられる方法だと思う。
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